長生院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/23 16:12 UTC 版)
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ちょうせいいん 長生院 | |
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![]() 一宝宗玉大姉像(浅野長勲所蔵) | |
生誕 | 生年不詳 |
死没 | 元和2年2月22日(1616年4月8日)[1] |
別名 | やや、お祢々[2]、末津姫[3] |
配偶者 | 浅野長政 |
子供 | 幸長、長晟、長重、豊姫(杉原長房室)、女(堀親良室)、智相院(松平定綱室 |
親 |
杉原定利、朝日殿 または浅野長勝、勝福院 |
親戚 | 高台院、木下家定、長慶院 |
長生院(ちょうせいいん)は、戦国時代から江戸時代にかけての女性、尼僧。浅野長政の正室。名は「やや(良々)」または「お祢々[2]」、末津姫(まつひめ)[3]など。晩年は出家して宗玉と名乗る。
略歴
通説では、父は杉原定利で、母は朝日殿(杉原家利の娘)とされ、姉おねと共に、浅野長勝とその後妻で(ややの叔母にあたる)七曲殿の養女となり、ややが安井重継の子長政(長吉)の妻となって、これを浅野家の婿養子として迎え入れたとされる。しかし杉原氏、木下氏の系図にややに関する記述が無く、別に浅野氏の系図には、ややの父は浅野長勝で、母はその先妻の勝福院(樋口美濃守の娘)であると記述するものがあり、ややは長勝の実の娘で、おねとは義理の姉妹だったとする説もある[1][4]。
兄弟に、おね(豊臣秀吉の正室・高台院)、木下家定、くま(長慶院、三折全友室)がいる。長政との間には浅野幸長、浅野長晟、浅野長重、豊姫(杉原長房室)、女(堀親良室)、智相院(松平定綱室)をもうけた。
慶長16年(1611年)、長政(伝正院殿)の死後は出家して、一宝宗玉と号した(長生院は諡号)。また、長重領の真岡2万石のうち3千石を隠居料とした[1]。
慶長18年(1613年)、長男幸長にも先立たれる。この際、幸長に男子がいなかったため、世継ぎ争いとなり、三男長重に遺領を継がせるように希望したが、結局、次男長晟が継いだ。
元和2年(1616年)江戸にて死去。葬儀の際に徳川義直より銀100枚が下賜された。墓は、夫と同じく天目山伝正寺にある。戒名は長生院殿一宝宗玉大姉。
演じた人物
- 本間千代子(大河ドラマ『太閤記』、1965年、NHK)
- 吉沢京子(亭主の好きな柿8年、1970年、NET)
- 京町一代(大坂城の女、1970年、KTV)
- 岡崎友紀(新書太閤記、1973年、NET)
- 浅茅陽子(大河ドラマ『おんな太閤記』、1981年、NHK)
- 林真里花(大河ドラマ『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』、2002年、NHK)
- 真由子(大河ドラマ『功名が辻』、2006年、NHK)
- 星野真里(寧々〜おんな太閤記、2009年、TX)
脚注
参考文献
- 手島益雄 国立国会図書館デジタルコレクション 『浅野長政公伝』 東京芸備社、1920年 。
- 浅野史蹟顕彰会編 国立国会図書館デジタルコレクション 『浅野荘と浅野氏』 浅野史蹟顕彰会、1917年 。
固有名詞の分類
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