七曲殿 (浅野長勝の妻)とは? わかりやすく解説

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七曲殿 (浅野長勝の妻)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/15 01:45 UTC 版)

七曲殿(ななまがりどの、? ‐ 慶長8年4月18日1603年5月28日))は、戦国時代の女性。浅野長勝の妻。名はふくと伝わる。父は杉原家利。姉に朝日殿、兄に杉原家次

長勝との間に子はいないが、朝日殿の子、寧々長生院、安井重継の子浅野長政を養子としている。

寧々と木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)の結婚の際は、姉の朝日殿が実娘の結婚に反対したものの、長勝は賛成して寧々を養女に迎えて結婚の形式を整えた。これにより浅野家は出世するようになる。

天正3年(1575年)の長勝の死後も生きており、文禄3年(1594年)の大坂城二の丸にて能の興行でも姉・朝日殿とともにわた五十把をもらっている。

慶長8年(1603年)4月17日には養女・高台院が、豊国神社にて七曲殿の病平癒祈祷をしている。翌日に死去。

戒名は雲亮院宝林妙瑜大姉。位牌・肖像画が高台寺にある。

演じた女優

脚注

  1. ^ こひは姉・朝日殿の名前。
  2. ^ 秀吉を憎んでいたのは姉・朝日殿



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