長尾一大心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/30 22:26 UTC 版)
長尾 一大心 Taishin Nagao |
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プロフィール | |
リングネーム | 長尾 一大心 |
本名 | 長尾 一大心 |
身長 | 164cm |
体重 | 75kg |
誕生日 | 2003年9月13日 |
死亡日 | 2025年9月7日(21歳没) |
出身地 | 北海道釧路市 |
スポーツ歴 | アイスホッケー 柔道 |
トレーナー | 青柳優馬 |
デビュー | 2024年10月22日 |
長尾 一大心(ながお たいしん、2003年9月13日 - 2025年9月7日)は、日本の男性プロレスラー。最終所属団体は全日本プロレス。北海道釧路市出身[1]。
経歴
自身が生まれる前に他界した曾祖母が全日本プロレスのファンで、その影響でプロレスラーを志す[2]。また中学2年生の頃に全日本プロレスの釧路興行を観戦し、試合後には売店で宮原健斗と写真を撮っている[2]。小学生から中学生までの9年間はアイスホッケーを経験。中学校は「日本一練習が厳しいアイスホッケー部」である強豪校だった。高校時代はプロレスラーを本格的に目指すべく、柔道を経験。高校卒業後、一度就職するもトレーニングを続け、2023年12月1日に新木場1stRINGで開催された全日本プロレス公開入門テストを受験し合格する。
半年間の練習生期間を経て、全日本プロレス旗揚げ記念日の10月22日後楽園ホール大会で、先輩の井上凌相手にデビュー戦を行う。デビューからわずか2戦目、期間にして5日後には故郷の北海道・札幌大会で凱旋試合となる「長尾一大心試練の3番勝負」第1戦が行われ、師匠である青柳優馬とのシングルマッチが組まれるも玉砕した。
2025年5月18日、大田区総合体育館大会第0試合にて、OSW所属の小藤将太とシングルで対決し、逆エビ固めで自身初勝利を挙げる[3]。結果的にこれが生前最後の試合となった。
同年6月7日、5月31日にバスとの接触事故により受傷した怪我を理由に、当面の間欠場することが全日本プロレスにより発表された。その後同月21日、全日本プロレスにより改めて詳細な状況が報告され、長尾が接触したバスは団体の巡業バスであったことが明らかにされ、腹部が圧迫されたことによる外傷性ショックにより集中治療を受けている事が公表された[4]。しかし復帰はかなわず、事故から約3か月後となる同年9月7日早朝、入院先の神奈川県内の病院で敗血症で死去した[5][6]。21歳没。
長尾一大心試練の3番勝負
2024年に開催。結果は長尾の全敗。
また、番外編として2025年1月18日新宿FACEにて宮原健斗とのシングルマッチが実現。結果は敗北。
得意技
人物
脚注
出典
- ^ “全日本プロレス 長尾一大心がデビュー!世界ジュニアを目標に掲げ「唯一無二を目指していきたい」”. プロレスTODAY. 2024年10月23日閲覧。
- ^ a b 「全日本プロレス生え抜きデビューの長尾一大心インタビュー」『週刊ファイト』2024年11月19日。2025年5月13日閲覧。
- ^ 「【試合詳細】5・18 全日本プロレス大田区総合体育館大会 【CC優勝決定戦】斉藤レイvs宮原健斗 【世界ジュニア】MUSASHIvs吉岡世起 【アジアタッグ】ライジングHAYATO&安齊勇馬vsマイク・D・ベッキオ&エーグル・ブラン 【AJPW TV6人タッグ】青柳優馬&阿部史典&佐藤光留vs大森北斗&羆嵐&吉田隆司」『バトル・ニュース』2025年5月20日。2025年9月8日閲覧。
- ^ 交通事故のプロレスラー長尾一大心「予断を許さない状況」団体巡業バスとの接触、全日本が公表「腹部が圧迫されて外傷性ショック」 - デイリースポーツ online 2025年6月21日
- ^ “プロレスラー長尾一大心さん死去 21歳”. スポニチアネックス (2025年9月7日). 2025年9月7日閲覧。
- ^ “【全日本】バス事故で死去した長尾一大心さん死因は敗血症、運転手は外部委託で警察が事情聴取中”. 日刊スポーツ (2025年9月12日). 2025年9月12日閲覧。
- ^ Hideki Suzuki [@Hideki55Suzuki] (11 May 2025). “本日は札幌大会2日目でした 長尾先輩の大きな背中を体感できました”. X(旧Twitter)より2025年5月13日閲覧.
外部リンク
- 長尾 一大心 | 全日本プロレス公式サイト
- 長尾一大心 (@nagao0913_ajpw) - X
- 長尾一大心 (@nagao0913_ajpw) - Instagram
- 長尾一大心のページへのリンク