鋸挽きで処刑された人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 04:31 UTC 版)
藤原経清 - 1062年、前九年の役に敗北して捕らえられ、意図的に刃こぼれさせた太刀で鋸引きのように処刑。 和田新五郎 - 三好家被官。1544年、将軍家侍女との不義密通により、細川晴元らにより処刑。 菅沼定直、今泉道善 - 武田家家臣菅沼定忠の叔父・家臣。長篠の戦いで敗走した定忠の帰還に際し入城拒絶したかどで、後に処刑。 杉谷善住坊 - 1573年、織田信長を狙撃したとして処刑。 大賀弥四郎 - 徳川家家臣。1574年、武田家に内通したとして処刑。 豊田五郎右衛門 - 九鬼家家臣。1600年、九鬼守隆により、父の嘉隆を自害に追いやったとして処刑。 徳川家光家臣中川某 - キリシタン崇拝のかどで処刑。 直助権兵衛 - 強盗。1721年に捕縛され、日本橋で鋸引きで晒された後、鈴ヶ森刑場で磔刑に処せられた。
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