銭選と趙孟頫とは? わかりやすく解説

銭選と趙孟頫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:09 UTC 版)

中国の絵画」の記事における「銭選と趙孟頫」の解説

銭選生没年不明活動期13世紀後半 - 14世紀初)は浙江呉興の人で、元初遺民画家である。字は舜挙(しゅんきょ)。遺民とは、モンゴル人征服王朝である元朝仕えることを拒否した人のことで、銭選南宋科挙には合格したが、元朝には仕えなかった。銭選の絵はほとんどが着色画で、作風復古的であり、画面構成平面的装飾的である。山水画が多いが、人物画花卉画もある。代表作に『蘭亭観鵝図巻』(メトロポリタン美術館)など。 趙孟頫(1254 - 1322年)は湖州浙江呉興)の人。字は子昂(すごう)。号は松雪道人松雪老人)、水晶宮道人など。宋の太祖11代の孫という名門の出である。夫人管道昇と子の趙雍画家であり、元末四大家1人である王蒙外孫にあたる。詩、書、画のいずれもよくした。絵は水墨山水画は郭(李成郭煕)に、青緑山水画は二李思訓道昭)に倣い、書は王羲之学んだ元朝仕え官職翰林院学士承旨に達した。宋の王室出でありながら異民族王朝元朝仕えたということで、趙孟頫人物について評価分かれる代表作に『秋色図巻』(台北故宮博物院)、『幼輿丘壑図巻』(プリンストン大学美術館)などがある。

※この「銭選と趙孟頫」の解説は、「中国の絵画」の解説の一部です。
「銭選と趙孟頫」を含む「中国の絵画」の記事については、「中国の絵画」の概要を参照ください。

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