銭選と趙孟頫
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銭選(生没年不明、活動期13世紀後半 - 14世紀初)は浙江呉興の人で、元初の遺民画家である。字は舜挙(しゅんきょ)。遺民とは、モンゴル人の征服王朝である元朝に仕えることを拒否した人のことで、銭選は南宋の科挙には合格したが、元朝には仕えなかった。銭選の絵はほとんどが着色画で、作風は復古的であり、画面構成は平面的・装飾的である。山水画が多いが、人物画や花卉画もある。代表作に『蘭亭観鵝図巻』(メトロポリタン美術館)など。 趙孟頫(1254 - 1322年)は湖州(浙江呉興)の人。字は子昂(すごう)。号は松雪道人(松雪老人)、水晶宮道人など。宋の太祖の11代の孫という名門の出である。夫人の管道昇と子の趙雍も画家であり、元末四大家の1人である王蒙は外孫にあたる。詩、書、画のいずれもよくした。絵は水墨山水画は李郭(李成・郭煕)に、青緑山水画は二李(李思訓、李道昭)に倣い、書は王羲之を学んだ。元朝に仕え、官職は翰林院学士承旨に達した。宋の王室の出でありながら、異民族王朝の元朝に仕えたということで、趙孟頫の人物については評価が分かれる。代表作に『鵲花秋色図巻』(台北故宮博物院)、『幼輿丘壑図巻』(プリンストン大学美術館)などがある。
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