鈴木孝三として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:55 UTC 版)
「豊島半七 (四代目)」の記事における「鈴木孝三として」の解説
1900年(明治33年)11月6日、孝三は中島郡一宮町(現・一宮市大字一宮更屋敷)の旧家である鈴木家に生まれた(次男)。父親は鈴木善七、母親はしゅん。父親の善七は山一商店に勤務しており、後には支配人の座に就いた人物である。初代豊島半七の妻せいは鈴木家出身であり、三代目豊島半七は孝三の母方の叔父にあたる。三代目豊島半七には子どもが生まれなかったため、甥の孝三をたいそうかわいがった。7歳の時には母しゅんが亡くなり、孝三は鈴木家の向かいにあった豊島家に引き取られた。豊島家で暮らすようになってからも、頻繁に父親の元に通い、父親の再婚相手のじやう女のことも慕った。 8歳で入学した小学校を卒業した後、名古屋市立商業学校に入学した。父方の叔父である吉川九兵衛が名古屋の大須で質商を営んでいたため、孝三は吉川家に寄宿して学校に通った。引っ込み思案で運動嫌いの孝三は「お嬢さん」というあだ名をつけられている。1921年(大正10年)3月には商業学校を卒業、大学に進学するよりも実地で商売を学ぶことを希望し、大阪の糸問屋である豊島商店に見習いとして赴任した。豊島商店は三代目豊島半七の弟の二代目豊島久七が経営を担っていた。
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