金沢城5期石垣(寛文期、1661~1672)
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構築者は5代藩主の前田綱紀である。綱紀への代替わりで(寛文元年(1661)に江戸から金沢城に入城)、石垣修築の隆盛。この期を代表する粗加石積石垣は、二ノ丸北面(菱櫓下含む、寛文8年修築)と鯉喉櫓下(寛文4年修築)である。 石切り丁場の位置:戸室山北端の田島・清水地区(地域Ⅳ)へ石切丁場の集約統合が図られ、藩直営の「戸室山御丁場」が成立した。 なお5期の後も、近代に至るまで大小の修築が行われた。文禄~幕末の金沢城の石垣普請を、文献史料等から概ね10段階に分ける考え方もある。
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