金沢城4期石垣(寛永期、1624~1644)
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構築者は前田利常である。寛永8年(1631)に城下南西で発生した火災は市街のほぼ全域に広がり、金沢城も大部分が被災した。この火災を受け城は二ノ丸を中心とした構造に大きく変容することになった。金沢城の新たな石垣普請はこれをもってほぼ終了し、後は修築となる。 石切り丁場の位置:前段階の採石域から地域Ⅱを除く範囲。戸室山・キゴ山の本山域にあたり、戸室山北端での採掘規模が拡大する。地域Ⅲに丁場跡が残る。
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