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金子武麿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/25 02:28 UTC 版)

金子武麿
かねこ たけまろ
『貴族院要覧(丙) 昭和二十一年十二月増訂』より
生年月日 1897年12月22日
没年月日 (1959-01-14) 1959年1月14日(61歳没)
出身校 東京帝国大学文学部卒業
前職 実業家
所属政党 研究会
称号 従四位
勲六等
配偶者 金子豊子
親族 祖父・山田秀典(青森県令)
父・金子堅太郎(司法大臣)
従兄・團伊能(参議院議員)

在任期間 1946年6月27日 - 1947年5月2日
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金子 武麿(かねこ たけまろ、1897年明治30年〉12月22日[1] - 1959年昭和34年〉1月14日[1][2])は、日本の実業家政治家華族貴族院伯爵議員位階従四位[2]勲等は勲六等[2]

経歴

官僚・政治家、金子堅太郎の二男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い1942年(昭和17年)6月1日、伯爵を襲爵した[1][4]

1922年大正11年)、東京帝国大学文学部を卒業[2][3]1923年(大正12年)内閣属となる[2]。以後、加藤友三郎内閣第2次山本内閣清浦内閣内閣総理大臣秘書官田中義一内閣内閣総理大臣秘書官兼外務大臣秘書官齋藤内閣中島久万吉商工大臣秘書官[5]、大礼使事務官などを歴任[2][3]

実業界では、電気化学工業取締役、台湾電化取締役、日本塗紙工業取締役、東北振興化学監査役、カーバイト共販監査役、東京都商工経済会評議員、日本硫硝酸統制社長などを務めた[2][3]

1942年(昭和17年)に父である堅太郎が死去して襲爵[6]1946年(昭和21年)6月27日、貴族院伯爵議員補欠選挙で当選し[7][8]研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』442頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』25頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』カ108頁。
  4. ^ 『官報』第4616号、昭和17年6月2日。
  5. ^ 『官報』第1633号、昭和7年6月11日。
  6. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、487頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、57頁。
  8. ^ 『官報』第5840号、昭和21年7月4日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
金子堅太郎
伯爵
金子(堅太郎)家第2代
1942年 - 1947年
次代
華族制度廃止



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