野津田町 (町田市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/08/25 20:06 UTC 版)
野津田町(のづたまち, Nozutamachi)は東京都町田市にある地名。郵便番号は195-0063。人口は9138人(平成22年1月1日、町田市住民基本台帳による[1])。
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地理
町田市の中北部に位置する。東西に鶴見川が流れ、北東の町境には小野路川が流れる。北部と南東部と南西部は丘陵地帯となっている。
主に参道橋以西の鶴見川周辺と、薬師池公園の西で七国山の北と、野津田公園の東で綾部原トンネルの上辺りには畑が多く残っている。
東部には金井町の一部と薬師台、南部には本町田、西部と南西部には山崎町、北西部には図師町、北部には小野路町、北東部には大蔵町がある。
交通
道路
- 神奈川県道・東京都道57号相模原大蔵町線(芝溝街道)が鶴見川の北を東西に横切る。
- 東京都道18号府中町田線(鎌倉街道)が南北を横切る。
路線バス
- 芝溝街道沿いにある神奈川中央交通町田営業所(野津田車庫停留所)がバスの主要発着所となっている。
歴史
武蔵国都筑郡余戸郷に属し、その後、多摩郡小山田庄に属し、その後、多摩郡柚木領に属した。「野津田郷」とも呼ばれた。村の広さは東西28町、南北20町[2] [3]。
鶴見川、小野路川、薬師池(福王寺溜池)、その他用水路により、比較的多くの水田や畑があった。
江戸時代に、野津田村は最初、捉飼場(鷹を訓養する場所)になったが、後に留場(放鷹の地で水鳥などを生息、繁殖させるため漁猟禁止地域)に組み込まれた。その後、金沢藩前田家の鷹場になった。
南部にあった多くの山林は長い間開発されなかったが、昭和の後期から宅地化が進んだ。
地名の由来
蔦(ツタ)が茂っていたことに由来し「野蔦」と呼ばれた[4]。
沿革
- 1577年(天正5年) ため池(現在の薬師池)の工事開始。
- 1590年(天正18年) ため池完成。徳川家康の領地になる。
- 1615年(元和元年) 設楽長兵衛乗業が代官になる。
- 1625年(寛永2年) 今井九右衛門昌安・忠昌が代官になる。
- 1658年(万治元年) 中川八郎左衛門某代官になる。
- 1683年(天和3年) 池田新兵衛重富が代官になる。
- 1684年(貞享元年) 八木仁兵衛長信が代官になる。
- 1689年(元禄2年) 西山八兵衛昌親が代官になる。
- 1692年(元禄5年) 古郡文右衛年明が代官になる。
- 1698年(元禄11年) 竹村惣右衛嘉躬が代官になる。
- 1700年(元禄13年) 関東郡代 伊那半左衛門忠順の管轄。
- 1704年(宝永元年) 旗本 多賀主税高国の知行地。
- 1707年(宝永4年) 富士山の噴火でため池が泥砂で埋まった。(3年間かけて泥砂をさらった。)
- 1716年(享保元年) 多賀氏の失脚により再度幕府の直轄地。
- 1721年(享保6年) 一部が旗本 富田甲斐守知郷の知行地と幕府の直轄地に分かれる。支配が分かれても一村としてのまとまりを守ることを村内で確認。その後、残りの幕府の直轄地の一部が旗本 山口安房守直重の知行地。
- 1722年(享保7年) 残りの幕府の直轄地の一部が旗本 由比長兵衛邑の知行地。
- 1728年(享保13年) びゃく打ち(土砂崩れ)による大被害。広南(現在のベトナム)から2頭の象が渡来し、翌年、将軍吉宗の上覧を受けた。(象は1741年(寛保元年)に中野村百姓原助らに払い下げられた。)
- 1733年(享保18年) 残りの幕府の直轄地が旗本 高井兵部少輔信房の知行地。以後、幕末まで旗本4家による支配が続く。
- 1817年(文化14年) ため池が再び泥砂で埋った。(その後、再び掘り直した。)
- 1868年(慶応4年、明治元年) 武蔵知県事の管轄となり、その後東京府、さらに神奈川県に移管される。
- 1871年(明治4年) 区制により第三〇区となる。
- 1873年(明治6年) 区番組制により第八区四番組となる。
- 1874年(明治7年) 大区小区制により第八大区一小区となる。
- 1884年(明治17年) 連合戸長役場制により小野路村戸長役場の管轄となる。
- 1889年(明治22年) 野津田村と小野路村・金井村・大蔵村・真光寺村・広袴村・能ヶ谷村・三輪村が合併し、南多摩郡鶴川村大字野津田となる。
- 1893年(明治26年) 神奈川県のうち、西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡を東京府に移管され、東京府南多摩郡鶴川村大字野津田となる。
- 1943年(昭和18年) 東京都制により、東京都南多摩郡鶴川村大字野津田となる。
- 1958年(昭和33年) 町田町、鶴川村、忠生村、堺村が合併し、町田市野津田町となる。
- 1975年(昭和50年) 東京都により七国山緑地が保全地域に指定。
- 1976年(昭和51年) 薬師池公園が開園。
- 1986年(昭和61年) 野津田町と金井町のそれぞれ一部より薬師台一〜三丁目を新設。
- 1990年(平成2年) 野津田公園が開園。
施設・周辺
行政
- 自由民権資料館
教育
- 国本学園女子中学校・女子高等学校 (町田キャンパス)
- 東京都立野津田高等学校
- 東京都立町田養護学校(町田の丘学園)
- 日本聾話学校
公園
- 南部
- 薬師池公園 (日本の歴史公園100選)
- 薬師池 (福王寺溜池)
- 大賀ハス田
- 萬葉草花園
- 椿園
- 旧永井家住居 (国の重要文化財)
- 旧荻野家住居 (東京都指定有形文化財)
- 福王寺薬師堂 (野津田薬師堂)
- 町田リス園
- 東京都七国山緑地保全地域
- 東京都町田民権の森緑地保全地域
- 町田牡丹園(民権の森公園)
- その他
- 野津田公園
関連項目
- FC町田ゼルビア - 市立陸上競技場をホームグラウンドとして使用する。
外部リンク
出典
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