野沢菜との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/21 04:07 UTC 版)
野沢菜には、野沢温泉村の健命寺の住職、八世晃天園瑞が宝暦6年(1756年)、京都に遊学した際、大阪市天王寺で栽培されている天王寺蕪の種子を持ち帰り、子孫が野沢菜となったとの言い伝えがある。 しかし、種子表皮細胞ほかに対する遺伝的研究から、これは否定されている。 日本のカブは、西日本主流のアジア系(var. glabra)と、東日本の山間地に多く耐寒性に優れたヨーロッパ系(var. rapa)に大別されるが、天王寺蕪はアジア系であり、野沢菜はヨーロッパ系の特徴が強い。現在野沢菜は、カブに由来する別の変種(var. hakabura:葉蕪)と考えられ、伝統野菜の漬け菜(稲扱菜、羽広菜、鳴沢菜、長禅寺菜)や紫蕪(諏訪紅蕪、細島蕪)は、いずれも近縁とみられる。
※この「野沢菜との関係」の解説は、「天王寺蕪」の解説の一部です。
「野沢菜との関係」を含む「天王寺蕪」の記事については、「天王寺蕪」の概要を参照ください。
- 野沢菜との関係のページへのリンク