野村耕三とは? わかりやすく解説

野村耕三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/28 18:50 UTC 版)

のむら こうぞう
野村 耕三
本名
別名義 山野 良夫 やまの よしお
生年月日 (1929-10-14) 1929年10月14日
没年月日 (2001-10-15) 2001年10月15日(72歳没)
職業 作詞家放送作家脚本家
ジャンル 映画歌謡曲
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野村 耕三(のむら こうぞう、1929年昭和4年〉10月14日 - 2001年平成13年〉10月15日)は、日本作詞家放送作家[1]脚本家である。日本作詩家協会理事を歴任した。本名同、ペンネームに山野 良夫(やまの よしお)がある。

人物・来歴

1929年(昭和4年)10月14日に生まれる。明治大学政治経済学部を卒業後、大蔵事務官に任官(昭和26年)、東京国税局 国税調査官などとして働いた経歴を持つ。

1960年(昭和35年)、西河克己監督、児井英生プロデュースの映画『俺の故郷は大西部』に本名で原作を提供、翌1961年(昭和36年)の野口博志監督、児井プロデュース作『早討ち無頼 大平原の男』以降、「山野良夫」名義で原案・原作を提供する。1962年(昭和37年)、野口監督・児井プロデュースの『惜別の唄』では共同脚本に名を連ねる。

その後、ラジオ・テレビの番組構成や、レコードの解説原稿や随筆等を執筆する。 1984年(昭和59年)からは作詞家として作品を発表し始め、北島三郎などに詞を提供した。

2001年(平成12年)10月15日、死去した。満72歳没。作詞家としての遺作は辰巳幸次郎の『葉がくれ』[2]

フィルモグラフィ

作詞作品

著書

  • 『波濤のうた―初代・浜田喜一物語』(1982年)みんよう春秋社 -単著
  • 『日本民謡大百科 上 下』(1983年)ぎょうせい -共編著

  1. ^ 安らかなご永眠をお祈りいたします 2001年日刊スポーツ、2010年1月3日閲覧。
  2. ^ 総おどり 葉がくれ - 辰巳幸次郎、Yahoo! ミュージック、2010年1月3日閲覧。

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