野村又三郞家とは? わかりやすく解説

野村又三郎家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/28 00:00 UTC 版)

野村又三郎家(のむら またさぶろうけ)とは、和泉流狂言方野村派能楽師の家。愛知県名古屋市を本拠に活動。現在の当主(家長)は十四世野村又三郎(本名・信行:のぶゆき)。

沿革

初代野村又三郎重信(17世紀初頭)が和泉流創設にあたり客分として招かれ、独自の演目・台本・演出などを保持している。

三世野村又三郎信明の代(江戸時代)には、京都在住のまま尾張徳川家お抱えの狂言方であった家柄。

明治維新後は名古屋、東京と移住を重ねた。その後、十二世野村又三郎信廣(四世 野村小三郎の父、2007年12月12日に逝去。享年86)は1959年に名古屋へ移住。

2011年5月29日、四世野村小三郎が又三郎(十四世)を襲名。

外部リンク


野村又三郎家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 07:12 UTC 版)

和泉流」の記事における「野村又三郎家」の解説

詳細は「野村又三郎家」を参照 もともと京都の手猿楽発した家系で、初代野村又三郎重信和泉流樹立にあたり客分として招かれたために、独自の演目台本演出などを保持して現在に至っている。三世野村又三郎信明の代に在京のまま尾張藩扶持されるようになる明治維新後に名古屋東京移住重ねた十一世野村又三郎信英が不慮戦死遂げるなどしたために、派としてはやや少人数である(十二世野村又三郎信廣は2007年死去し、現在は野村又三郎信行2011年十四世襲名した)。 芸風全体おとなしやかで、幽玄なやわらかみがまさっており、和泉流中でも特に式楽としての品を意識する傾向が強いと言われる

※この「野村又三郎家」の解説は、「和泉流」の解説の一部です。
「野村又三郎家」を含む「和泉流」の記事については、「和泉流」の概要を参照ください。

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