野村千春
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野村 千春(のむら ちはる、1908年(明治41年)4月6日 - 2000年(平成12年)2月12日[1])は、日本の洋画家。夫は児童文学者、歌人の巽聖歌。結婚後、東京都日野市に居住し、創作活動を行なった。
経歴
諏訪郡平野村(現:岡谷市)の豪農の二女として生まれた[1]。三女一男の家であった[注釈 1]。
平野高等女学校(現:長野県岡谷東高等学校)時代、同校の教師だった諏訪郡原村出身の洋画家 清水多嘉示に画才を認められて画家を志した。1925年、同校を卒業後、父の反対を押し切って上京し、キリスト教伝道者の姉・菊枝の下に身を寄せる[1]。1929年、洋画家 中川一政に内弟子として師事し、春陽会研究所に学ぶ[1]。その後、同郷の武井直也から彫刻を学び、妹・百代とともに武井家に留守番として住まわせてもらう[1]。1932年、巽聖歌と結婚[1]。
1931年、春陽会第9回展に「花」が初入選[1]。1946年、女流画家協会に創立会員として参加[1]、1952年および1954年には女流画家協会賞を受賞した[1]。1950年、春陽会会友賞を受賞。1952年(昭和27年)、春陽会会員に推挙された[1]。1963年以降、長野県美術展(県展)の審査員を長年に渡って務めた[2]。
2000年、91歳で死去した。
作風
重厚で意志の強さを感じさせる油絵を得意とし[3]、創作初期は静物と人物、中期は大地、後期は大地と花をテーマにした作品が多い[2]。なかでも、大地と花をテーマにした作品は評価が高い[1][3]。
中川一政は、千春の絵を「女流画家ではあるが、女流の繊細とか優美とかに全く世を向けている」と評した[1]。長女によれば、「こんな迫力の絵を女が書けるはずがない」という感想をとても喜んでいたという[1]。
巽聖歌夫人として
巽の友人だった新美南吉は、1933年12月に信州を訪れ、岡谷市の千春の実家も訪ねている[4]。新美の代表作『手袋を買いに』は、執筆日付が帰省の前日となっており、信州の冬景色がイメージの中にあったとする指摘もある[4]。新美の死後、巽とともに『新美南吉童話全集』『新美南吉全集』を刊行した[5]。
画集等
- 巽聖歌著「きつねのおめん」挿絵(海住書店、1950年(昭和25年))
- 新美南吉童話名作選挿絵(羽田書店、1950年(昭和25年))
- 巽聖歌編著「たのしい詩・考える詩 」挿絵(牧書店、1969年(昭和44年))
- 野村千春画集(野村千春画集刊行会、1981年(昭和56年))
公的団体の収蔵
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m “日野の歴史と民俗149号 孤高の女流画家 野村千春と日野”. 日野市. 2025年7月5日閲覧。
- ^ a b “長野県の芸術・文化情報センター 八十二文化財団”. 八十二文化財団. 2025年7月5日閲覧。
- ^ a b “みんなのふるさとこぼれ話32 女流画家野村千春と日野”. 日野市公式ホームページ. 2025年7月5日閲覧。
- ^ a b “あなたの町の南吉”. www.nankichi.gr.jp. 新美南吉記念館. 2025年7月5日閲覧。
- ^ “みんなのふるさとこぼれ話68 巽聖歌と野村千春~日野に転居して創られた作品”. 日野市公式ホームページ. 2025年7月5日閲覧。
固有名詞の分類
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