酒株の廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 14:30 UTC 版)
明治8年(1875年)、明治政府は、江戸幕府が定め複雑に入り組んだ酒株に関する規制を一挙に撤廃し、酒類の税則を醸造税と営業税の二本立てに簡略化して、醸造技術と資本のある者ならば誰でも自由に酒造りができるように法令を発した。このためわずか一年のあいだに大小含め30,000を超える酒蔵がいっきに誕生した。しかし江戸幕府が永年の工夫をこらして改良してきた酒株制度は、それほど侮れるものではなかった。(「酒税」の項を参照のこと。)明治政府はやがて酒税の確保に血眼になり、酒屋たちの抵抗も表面化し、大阪酒屋会議事件などさまざまな社会事件に発展した。
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