鄭成功政権時代
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台湾における一般教育制度を整備したのは鄭氏政権である。1661年、鄭成功がオランダ東インド会社勢力を台湾から駆逐、翌年それを継承した鄭経は陳永華と共に積極的に台湾での教育事業を整備した。1666年、陳永華は当時台湾の中心地であった承天府に台湾最初の孔子廟を建立し、その左廂内に太学を設置した。これが現在の全台首学の前身である。太学は台湾唯一の官費による教育施設であり、当時は官学または孔子廟内に設置されたことから儒学と称されていた。なお、歴史上の鄭成功は、彼自身の目標である「反清復明」を果たす事無く死去し、また台湾と関連していた時期も短かったが、鄭成功は台湾独自の政権を打ち立てて台湾開発を促進する基礎を築いたこともまた事実である為、鄭成功は今日では台湾人の精神的支柱(開発始祖、「ピルグリム・ファーザー」)として社会的に極めて高い地位を占めている。
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