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鄭島栄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/28 14:48 UTC 版)

鄭 島栄
各種表記
ハングル 정도영
漢字 鄭島榮
発音: チョン・ドヨン
日本語読み: てい とうえい
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鄭 島栄(チョン・ドヨン、朝鮮語: 정도영/鄭島榮1901年9月16日[1]または1902年[2] - 1979年8月12日)は、日本統治時代の朝鮮独立運動家大韓民国政治家教育者制憲韓国国会議員[1]

本貫迎日鄭氏朝鮮語版。初名は鄭寿容華一白坡[3]仏教徒[2]

経歴

慶尚北道永川郡出身。京城中東中学校を経て大邱啓聖学校中退、京都第一府立中学校卒。三・一運動参加後、新幹会の設立に参加し、永川青年会会長、全国青年総連盟メンバーを経て、日中戦争中に治安維持法違反で投獄されたが、3年間の起訴猶予により釈放された。その後は仏教に入信し、禅房で7年間修行した。光復後は米軍政庁永川郡守顧問、韓国民主党慶北道党常務委員、独促国民会永川郡支部長・中央常務委員・慶北道党部常務委員、国民会支会長を務めた。1948年の初代総選挙では大韓独立促成国民会の候補として、永川郡選挙区から無投票で当選した。1950年に政界引退し、帰郷して郷校の再建と書史の研究に従事し、臨皐書院朝鮮語版道東書院朝鮮語版の院長も務めた[1][2][3]

1979年8月12日、慶北永川郡永川邑の自宅で持病により死去。享年80[4]

賞勲

無窮花国民勲章受章者[3]

脚注

  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年3月13日閲覧。
  2. ^ a b c 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年3月13日閲覧。
  3. ^ a b c 정도영 - 디지털영천문화대전”. yeongcheon.grandculture.net. 2025年3月13日閲覧。
  4. ^ 制憲議員(제헌의원) 鄭島榮(정도영)씨”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1979年8月13日). 2025年3月13日閲覧。



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