鄭寅笑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 06:52 UTC 版)
鄭 寅笑 | |
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各種表記 | |
漢字: | 鄭 寅笑 |
発音: | チョン・インソ |
日本語読み: | てい いんしょう |
鄭 寅笑(チョン・インソ、朝鮮語: 정인소、1907年11月11日または1908年 - 1977年8月21日または8月27日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の大学教員、政治家。第5代韓国国会議員[1]。本貫は東萊鄭氏。キリスト教徒[2]。
経歴
ソウルまたは忠北陰城出身。大阪府立中学校、北京外国語専門学校世界語科、九州帝国大学(現・九州大学)法文学部政経科、ピープル大学大学院博士課程修了(文学博士)。若い頃は民族解放運動をしたため、当局の特別高等要視察人とされ、128回も検束投獄に遭った。特に世界語普及および禁酒・禁煙・阿片・公娼・蓄接などの廃止運動で活躍し、私財で愛の世界社、国際禁酒同盟、韓国世界語総連盟を設立し総裁を務めた。朝鮮行政査察官、万国世界語学士院員、国学大学教授、国民大学教授、プランパッサ大学学長、国際雄弁大学学長、清州大学校大学院長、新生活日報社理事長などを務めた。1961年の国会議員の補欠選挙で当選したが、5・16軍事クーデターの発生により議員宣誓もできずに失職した[1][2]。その後は世界連邦韓国協会会長を務めた[3]。
1977年8月21日、ソウル大附属病院で糖尿病性昏睡により死去。享年70[3]。
脚注
- ^ a b “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年3月13日閲覧。
- ^ a b “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年3月13日閲覧。
- ^ a b “前議員(전의원) 鄭寅笑(정인소)씨”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1977年8月22日). 2025年3月13日閲覧。
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