郡山村の開村とは? わかりやすく解説

郡山村の開村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:21 UTC 版)

郡山宿」の記事における「郡山村の開村」の解説

郡山宿は、1604年慶長9年)に徳川幕府の命により奥州街道開設され開村したというのが定説である。奥州街道道中は、正式に江戸日本橋から白河までを指し幕府五街道1つとして道中奉行支配させた。このうち白河以北三厩(みうやま 青森県)までを仙台松前道称し脇街道として勘定奉行支配したが、一般的にはこれも奥州道中または奥州街道呼ばれたこの街道の道筋宿駅整備は、豊臣秀吉奥羽仕置1590年1591年天正18年19年)の時に始まり1604年慶長9年)には徳川家康整備令が出され主要な脇街道である奥州街道もそれに準じて整備された。江戸日本橋基準として36町を1里(約4キロメートル)と定め、1里ごとに塚を築かせ、道路の幅は5間(9.1メートル)とし、街道両脇には松並木植えさせた。 二本松藩領内宿駅は、笹川日出山・小原田郡山福原日和田高倉から五百川渡り本宮杉田二本松油井二本柳を過ぎ、信夫郡八丁目宿へとつながるが、福原高倉油井は、1615年元和元年以降設置である。 松並木は、主要地方である須賀川二本松線の郡山市日和田富久山地内に今もなお面影残しているが、郡山市内では小原田北入口・久保田日和田にあった1里塚は、近代になって壊され、現在は久保田に碑が建っている。

※この「郡山村の開村」の解説は、「郡山宿」の解説の一部です。
「郡山村の開村」を含む「郡山宿」の記事については、「郡山宿」の概要を参照ください。

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