那波魯堂とは? わかりやすく解説

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なわ‐ろどう〔なはロダウ〕【那波魯堂】

読み方:なわろどう

[1727〜1789江戸中期儒学者播磨(はりま)の人。活所の子孫で、姓は「なば」とも読む。岡白駒(おかはっく)に古学学び、のち、朱子学転じた。著「学問源流」「文集」。


那波魯堂

読み方なば ろどう

江戸後期儒者姫路生。通称主膳、名は師曾、字は孝卿、道人号する岡白駒に従学し、阿波侯の儒官となる。寛政元年1789)歿。

那波師曾

(那波魯堂 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/10 06:25 UTC 版)

那波 師曾(なわ/なば しそ、1727年享保12年)- 1789年10月29日寛政元年9月11日))は、江戸時代中期に活躍した儒学者である。号は魯堂または鉄硯道人で、字は孝卿。通称は主膳。

経歴・人物

那波活所の玄孫として、播磨姫路に生まれる。17歳のころに岡白駒の門人となり、古学を学んだ。22歳の時には聖護院家塾を開き、生徒たちに古学を伝授した。しかし、宝暦のころに古学を批判したことにより、師から破門され朱子学に転じた。同時期に伊藤仁斎荻生徂徠が唱えた学説も批判した。

晩年は当時阿波藩主であった蜂須賀治昭に招聘され、藩士たちに儒学を伝授した。後に「四国の正学」と呼ばれ、一躍有名となった。

大正4年(1915年)、正五位を追贈された[1]

主な著作物

主著

  • 学問源流』- 師曾の代表的な著書。全1巻からなり、主に平安時代における儒学の歴史が述べられている。なお、序文は師曾の実弟であった奥田元継が著している。
  • 『左伝例』

その他の著書

  • 『道統問答』
  • 『東遊篇』

脚注

  1. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.36

出典



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