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遠山信一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/03 14:25 UTC 版)

遠山 信一郎(とおやま しんいちろう、1895年2月1日[1] - 1979年6月14日)は、日本内務官僚

来歴

生い立ち

千葉県印旛郡八街村(現・八街市)生まれ[1]第四高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治科卒業[2][3]

内務官僚として

1920年 内務省に入省。長野県配属[2]1931年 静岡県内務部地方課長[4]1932年3月 富山県学務部長[5]。学務部長という職にありながら農村報徳運動の普及に力をそそぎ、飛行場建設にも幹事長として重要な役割を果たし、影のプロモーターといわれた[6]。富山県新興報徳社など各地の報徳社の設置にも携わる[7]1935年1月18日 埼玉県経済部長[8][9]。なお、1936年2月26日から1941年2月27日まで大日本報徳社参事を兼ねており[7]、1936年12月26日に設立された報徳経済学研究会では実行委員を務めていた[7]1937年7月 北海道経済部長[10]。1937年8月9日より大日本振興報徳会の顧問を兼ねており[7]、1939年1月には北海道振興報徳会を創設した[7]1941年1月8日 岩手県総務部長を最後に内務省を退官[11]

退官後

1941年2月25日から1948年2月25日まで大日本報徳社の監事を務めた[7]1949年6月1日 地方自治庁次長1955年9月20日 地方財政審議会委員(〜1967年10月12日[3][12]1979年6月14日 急性肺炎のため鎌倉市の病院で死去。

栄典

脚注

  1. ^ a b 『人事興信録 第17版 下』人事興信所、1953年、と15頁。
  2. ^ a b 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、228頁
  3. ^ a b 第23回国会 参議院 議院運営委員会 第6号
  4. ^ 岡本博『二宮尊徳の政道論序説:報徳書獺祭記』岩田書院、2004年発行、58頁
  5. ^ 『明治・大正・昭和の鄉土史,第18巻』昌平社、1982年、111頁
  6. ^ 『富山県の昭和史』北日本新聞、1991年2月発行、54頁
  7. ^ a b c d e f 前田寿紀「戦中・戦後における『大日本報徳社』の甘藷増産活動に関する研究(2)――《丸山方作日記》《河井弥八日記》の分析を中心に――(その1)」『淑徳大学社会学部研究紀要』38号、淑徳大学社会学部、2004年3月12日、275頁。
  8. ^ 宇野俊一『近代日本の政治と地域社会』国書刊行会、1996年1月1日発行、153頁
  9. ^ 『新編埼玉県史:近代・現代』1979年発行、20頁
  10. ^ 『埼玉県の百年』山川出版社、1990年、2頁
  11. ^ 『部長級異動は50余名 退職者3名』朝日新聞 1941年1月7日 朝刊、1頁
  12. ^ 第57回国会 参議院 議院運営委員会 第2号
  13. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

関連項目

官職
先代
新設
地方自治庁次長
1949年 - 1950年
次代
荻田保



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