連合軍軍政期の朝鮮における慰安婦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 10:12 UTC 版)
「韓国軍慰安婦」の記事における「連合軍軍政期の朝鮮における慰安婦」の解説
第二次世界大戦で大日本帝国が連合軍に敗北したため、朝鮮半島は1945年9月2日から、日本統治期より連合軍軍政期に移った。 朝鮮半島においては、連合軍による軍政が敷かれ慰安所、慰安婦ともにアメリカ軍に引き継がれた。1945年9月には、日本軍兵站基地があった富平に米軍基地が居抜きで建設され、基地周辺にあった公娼地域も引き継がれた。富平基地はキャンプ・グラント(Camp Grant)、キャンプ・マーケット(Camp Market)、キャンプ・タイラー(Camp Tyler)、キャンプ・ヘイズ(Camp Hayes)を網羅する広大な基地だった。 第8軍の龍山基地周辺には梨泰院があった。ほかにも釜山、玩月洞、凡田洞(ハヤリア隊基地入り口)、大邱の桃源洞(チャガルマダン)、大田の中央洞などに公娼地域があった。 1947年11月には公娼制が廃止されたが、1948年に米軍は公娼制廃止によって性病が蔓延したと主張し、娼婦の性病検査は1949年まで続けられた。
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