速水左近(はやみ さこん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 02:51 UTC 版)
「空也十番勝負」の記事における「速水左近(はやみ さこん)」の解説
直参旗本で将軍御側御用取次を務める。佐々木玲圓の剣友でおこんの養父。
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速水左近(はやみ さこん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 03:57 UTC 版)
「居眠り磐音」の記事における「速水左近(はやみ さこん)」の解説
直参旗本で将軍御側御用取次を務める。佐々木玲圓道場の剣友で小野派一刀流免許皆伝の腕前を持つ。幕府内において将軍徳川家治の信任厚く、時には老中や大名よりも絶大な権力を誇る。実権を握ろうとする田沼意次を牽制しつつ、家基の将軍就任に向けて着々と準備を進める。日光社参においても玲圓や磐音らと共に影警護に徹して家基を死守したが、鷹狩りの帰りの際に田沼の息のかかった者に暗殺されしてしまう。そのため、田沼の実権掌握を許し、御役御免の上で蟄居閉門となる。その後、許されたが甲府勤番として山流しに遭い、徳川御三家の助言により復帰するまでの3年余の間、家族と別れて過ごすことになる。甲府勤番時代は善政を敷き、歴代勤番の中でも実直だと噂された。江戸への道中で田沼の命を受けた刺客に襲われるが磐音たちが駆けつけて無事帰着した。帰着後は奏者番に昇格し、敵対する田沼意知と同格となった。その後寄合席に入っていたが、11代将軍徳川家斉の命により再び御側御用取次に返り咲いた。杢之助、右近の2人の息子も佐々木道場の門弟。
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