近衛家の風習
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 09:00 UTC 版)
近衛家は極めて質素な食生活をしていた。食事は普段は一汁二菜で、汁はほとんどが豆腐の澄し汁、菜は煮るか焼いた魚と香の物だけだった。しかも汁は長い廊下を歩いて持ってくる間に冷たくなっているのが常だったという。財産に比して雇い人が多いので生活を切り詰めなければならないのが近衛家が質素な生活をしていた理由だった。旧大名華族の中でも富裕で名高い前田侯爵家から嫁いできた近衛篤麿夫人貞子(文麿の継母)は生家にいた頃は好きなだけ美味しい物を食べて贅沢三昧の生活を送ってきたので近衛公爵家の質素な食事に耐えられなかったという。 近衛忠熙が生存していた頃、近衛家では3月の桃の節句に雛壇を儲けず、緋毛氈を畳に敷き、その上に雛人形を並べていた。「内裏雛は一般に天子様を象った物とされるが、天子様は神であり、そのお姿を写すのは不敬であるので天子様であろうはずはない。あの人形は公家を象った物に相違ない。公家のトップである近衛家の人間が公家の人形を檀上に飾って下から仰ぎ見なければならない理由はない。」とのことであったが、忠熙が死んだあとは近衛家でも普通に雛壇の上に飾るようになった。 明治以降近衛家では正月に門松を立てず、日の丸の国旗を立てていた。
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