近江屋事件まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 06:17 UTC 版)
「陸奥守吉行 (坂本龍馬佩刀)」の記事における「近江屋事件まで」の解説
龍馬は本作が贈られたことがよほど嬉しかったらしく、1867年(慶応3年)年6月に京都から送った権平宛ての手紙には、「専門家に見せると粟田口忠綱くらいの名刀と鑑定されました」「常に腰に差しています」「兄にもらった刀だと自慢しています」と権平に感謝の気持ちを述べている。龍馬は相当な刀好きであり、本作のほか相州国秀の刀など多くの刀を所持していたが、龍馬が暗殺された近江屋事件の時に佩いていた刀は本作であった。凶漢に襲われた龍馬は相手に刀を振るわず鞘を抜いて相手に応戦を試みるも暗殺された。その後、本作は龍馬の甥にあたる小野淳輔(のちに坂本家家督を継ぎ坂本直と改名)の許へ渡り、坂本家が北海道へ移住した際にも本作が伝わっていた。 1931年(昭和6年)に土佐藩郷士坂本家7代当主である坂本弥太郎によって恩賜京都博物館(現・京都国立博物館)に寄贈される。しかし、茎(なかご、柄に収まる手に持つ部分)に「吉行」と切られているが幕末時の刀と違って反りがなく、刃文が直刃風であるなど陸奥守吉行の作風と異なることから、本当に龍馬の佩刀であるかは懐疑的であるとされていた。
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