車道の開通と改修
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/24 15:47 UTC 版)
旧往還は非常に勾配が急でしかも道幅が狭く、自動車の通行が困難であったため、新たに車道が拓かれた。往還が尾根伝いに登っていくような道筋であったのに対して、車道は谷を巻いて距離を伸ばし、勾配をやや緩やかにしている。ただし道幅は離合するのがぎりぎりであり、離合不能の箇所も散見された。また、昭和45年(1970年)頃まで未舗装のままであり、路面状況もあまりよくなかった。その後アスファルトで舗装されたものの、あまりに幅が狭いので一部分が改修されることになった。 昭和の終わり頃、杵築側の急カーブが連続する箇所およびその前後が拡幅され、2車線(片側1車線)になった。しかし残りの大部分は1,5車線ほどの曲がりくねった道路のままであり、特に大田側は延々と狭路が続いた。平成3年(1991年)には大分空港道路が開通し、杵築市大字馬場尾に杵築・大田インターチェンジが完成した。その頃、波多方トンネルの計画が持ち上がった。
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