車にも仰臥という死春の月
| 作 者 | |
| 季 語 | |
| 季 節 | 春  | 
| 出 典 | |
| 前 書 | |
| 評 言 |  地震が起った時、作者は仙台駅前のビルの地下に居た。そこから自宅まで5時間かけて歩いて帰った。幸いに自宅は無事だったが、すぐ近く迄津波が押し寄せたという。(「現代俳句」23年11月号講演録より) 掲句は津波が去った後の惨状を詠んだ。テレビでくり返しくり返しこれでもかと言うほど放映され、今なお目に焼きついて離れないこの世と思われない光景。瓦礫の山と大量の泥。海から数キロも離れたビルの屋上に乗っている漁船、そして車、腹を見せて転がっているもの、横倒し、また逆立ちしているもの等、まさに「車の死」である。「仰臥」には作者の優しい目差しがある。人間が黄泉の国に旅立つ時、胸に手を組む。そのように仰向けに転がった車に手を組ませたのだ。「車にも」がその事を物語っている。作者の愛と鎮魂の祈りが「仰臥の死」なのだ。 その地獄のような地上を春の月が照らしている。あの夜は細い三日月だった。照井翠は春の星空を作者は春の月を詠んだ。片山由美子氏は、この句は「春の月」の本意を広げたと評している。 瓦礫みな人間のもの犬ふぐり この瓦礫の山はみんな人間が作り使ってきたもの。高度成長以来、経済優先、大量消費、少し便利な物、目新しい物があるとせっせと買い求め、使うかどうか解らない物まで身の回りに増やし、そして使い捨てる。それが津波によって全て瓦礫と化した。この句は痛烈な文明批判の句である。「犬ふぐり」は実際に被災地に咲いたのかどうかは解らない。もしかしたら、作者の再生の希望を託した祈りの取り合せかも知れない。 | 
| 評 者 | |
| 備 考 | 
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