越後守護上杉家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 12:33 UTC 版)
越後では山内上杉家と犬懸上杉家が国衙領を2分割して支配しており、この半分を基盤として犬懸上杉家系の越後上杉家が成立したが、守護職は山内上杉家が継承していた。ところが、越後守護職を継承する山内上杉家系の上杉房方が養子として犬懸上杉家系越後上杉家を継承することで、越後守護を世襲する越後上杉家が成立した(系統的には犬懸上杉家・血統的には山内上杉家に属する。なお、山内上杉家の国衙領は引き続き同宗家が継承する)。越後上杉家から、越後国内に山本寺氏、山浦氏、上条氏を分家した。守護代の長尾氏と対立するようになり、上杉房定の代には長尾氏を抑え優勢となり全盛期を築き上げた。房定の死後は、上杉定実を擁する長尾為景によって上杉房能が自害に追い込まれるなど下克上され、上杉定実は為景の死後、伊達氏の支援により復権を図るものの天文の乱により挫折し、後継のないまま死去、1550年に断絶した。
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