越後小田切氏
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応永18年(1411年)小田桐駿河守が信濃から越後へ移住し蒲原郡石間城を居館とした。のち芦名氏に属す。会津風土記石間村条に「松寿寺、康暦の頃、芦名直盛の臣小田切弾正某、石間、岡沢、焼山、太田、古岐五村の領主たりしに、仏法に帰依して當寺を開山す。」とある。同郡谷澤城は小田切甲斐守の居館。新編会津風土記谷澤村条に「館跡、天正の頃まで、小田切平六某住むという。」とある。ほか舊事雑考によると細越村にも館跡があり、小田切駿河が住んだと伝わる。また沼垂郡赤谷城も、天正年間小田切氏の居館だった。新発田重家が謀反を起こした際は、芦名氏は小田切三河守を赤谷城に籠めて援兵とした。
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