越後小田切氏とは? わかりやすく解説

越後小田切氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 08:00 UTC 版)

小田切氏」の記事における「越後小田切氏」の解説

応永18年1411年小田桐駿河守信濃から越後移住し蒲原郡石間城を居館とした。のち芦名氏属す会津風土記石間条に「松寿寺康暦の頃、芦名直盛の臣小田切弾正某、石間岡沢焼山太田古岐五村領主たりしに、仏法帰依して當寺開山す。」とある。同郡谷澤城は小田切甲斐守の居館新編会津風土記谷澤条に「館跡天正の頃まで、小田切平六某住むという。」とある。ほか舊事雑考によると細越にも館跡があり、小田切駿河住んだと伝わる。また沼垂郡赤谷城も、天正年間小田切氏居館だった。新発田重家謀反起こした際は、芦名氏小田切三河守赤谷城籠め援兵とした。

※この「越後小田切氏」の解説は、「小田切氏」の解説の一部です。
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