賀茂忠行(かものただゆき) ? - 960年(天徳4年)
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後に世襲陰陽家の名門となった賀茂氏の祖。賀茂保憲の父。安倍晴明の師。奈良時代に活躍した修験道の開祖・役小角の末裔であると言われている。940年に承平天慶の乱が勃発した際、この対策のために時の権力者藤原師輔に、当時は密教の高僧でも知らなかったとされている「白衣観音法」を進上したことがきっかけで重用されるようになった。陰陽道にかぎらず天文道・暦道など様々な分野に明るかったほか、卜占にもよく通じておりその正確さは有名で、村上天皇が水晶念珠を見えないように箱に入れてその中身を占じさせたところ、見事に言い当てたという伝説が残っている(三善為康『朝野群載』)。早くから嫡男・賀茂保憲や弟子・安倍晴明の才能を見出し育成したことで知られている。
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