賀茂村/加茂町時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/24 09:31 UTC 版)
1889年の市町村制施行直前には、 助任町 - 現 助任本町南半(1~3丁目、興源寺川以南)・助任橋西半 助任西町 - 現 吉野本町北半(4~6丁目) 下助任村 - 現 下助任町・上吉野町・中吉野町・東吉野町・助任本町北半(4~7丁目、興源寺川以北)・北前川町の一部・中前川町の一部・隣接する吉野川河道 上助任村 - 現 上助任町・北田宮の一部・川内町の一部(北原全域と榎瀬の一部)・隣接する吉野川河道 の4町村があった(現在の町割はおおよそ)。これらを合わせると、南部の助任川沿いでは前川村と常三島村に挟まれた狭いエリア(助任町)だったが、北部の吉野川沿いでは、前川村と常三島村の北にも広がっていた。また、吉野川の対岸にも広がっていた。 市町村制施行により、助任町・助任西町・下助任村は徳島市の一部、上助任村は名東郡加茂村の一部となった。ただし現在、上助任町は加茂地区ではなく、他と同じ渭北地区に属す。 1907年から1927年まで20年かけて吉野川改修工事がなされ、加茂村大字上助任の大半と徳島市大字下助任のかなりの部分が水没した。
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