財務官僚時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 04:06 UTC 版)
大蔵省入省後は、大蔵省大臣官房調査企画課、仙台国税局調査査察部国税調査官、カリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係・環太平洋地域研究大学院留学、外務省在ニューヨーク総領事館副領事、財務省国際局国際機構課企画係長、財務省国際局調査課課長補佐、内閣官房地域再生推進室参事官補佐を経て、2004年から厚生労働省保険局総務課に課長補佐(兼医療課、老人医療企画室)として出向。 厚生労働省では医療制度改革に携わり、医療費適正化計画の枠組み作りなどを担当した。しかし、この際、国民負担率の抑制があらゆる政策の出発点とされ、「官僚は数字、辻褄合わせの議論、視野が狭い議論に終始」するなど、「霞が関の在り方に疑問を覚え」2006年7月に退官。
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