豊臣秀吉による台湾招致
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「村山等安の台湾出兵」の記事における「豊臣秀吉による台湾招致」の解説
豊臣秀吉による天下統一後、豊臣政権は対外政策に熱心に取り組むようになる。秀吉の対外発信文書の文面は、明に対しては対等扱いであったが、朝鮮、琉球などは服属国扱いであった。秀吉の目は台湾にも向けられた。台湾は当時「高山国」と呼ばれ、戦国時代後期に日本人の対外活動が活発化した中で船舶の寄港地や給水場所として利用されるようになっていた。秀吉は1593年(文禄2年)、高山国招致の使者を送った。秀吉の書状では、高山国は朝鮮や琉球並みの服属国扱いであり、日本への朝貢を要求するものであった。しかし実際には高山国という国を見つけ出すことが出来ず、秀吉の台湾招致は失敗した。
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