護王神社と猪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 14:34 UTC 版)
和気清麻呂が宇佐(現・宇佐市)へ配流された際に、道鏡から送り込まれた刺客に襲われたのを、突如現われた300頭の猪によって難事を救われたとの伝説から、1890年(明治23年)から狛犬の代わりに「狛猪」が置かれており、「いのしし神社」の俗称もある。そのため亥年の参拝者は例年よりも増加する傾向がある。境内には狛猪の他にも多くの猪に因むものがあり、全国から奉納された猪の縫いぐるみや木彫り等が祀られている。 日本銀行券としてかつて発行されていた十円紙幣は、1890年(明治23年)から1945年(昭和20年)までのものは一貫して和気清麻呂と護王神社が描かれていた。そのうち1890年(明治23年)に発行されたものは表面の枠模様の中に8頭の小さな猪が描かれ、さらに1899年(明治32年)に発行されたものは裏面に大きな猪が1頭描かれた。10円紙幣はその後1915年(大正4年)発行のものから猪が描かれなくなったが、その後も含めて和気清麻呂の肖像画が描かれた10円紙幣は長らく「いのしし」と俗称された。 清麻呂が刺客に襲われた際、足に傷を負ったが、猪が去った後に足の傷も癒えた故事に由来して、足腰健康の神社としても知られる。手水舎「霊猪手水舎」の猪の鼻を触ると「足腰が良くなる」「再びここに戻って来れる」「幸せが訪れる」等のご利益が有るとされる。境内の一角に足型の石が敷いてある。
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