諏訪神社 (仙台市青葉区)とは? わかりやすく解説

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諏訪神社 (仙台市青葉区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/24 16:21 UTC 版)

諏訪神社

覆屋の中に建つ本殿(2005年11月)
所在地 宮城県仙台市青葉区上愛子字宮下40
位置 北緯38度15分56.1秒 東経140度45分31.2秒 / 北緯38.265583度 東経140.758667度 / 38.265583; 140.758667 (諏訪神社 (仙台市青葉区))座標: 北緯38度15分56.1秒 東経140度45分31.2秒 / 北緯38.265583度 東経140.758667度 / 38.265583; 140.758667 (諏訪神社 (仙台市青葉区))
主祭神 建御名方命
社格 村社
本殿の様式 三間社流造
例祭 4月29日
主な神事 筒粥
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鳥居(2005年11月)

諏訪神社(すわじんじゃ)は、宮城県仙台市青葉区上愛子にある神社である。

概要

旧社格は村社。斉勝川蕃山丘陵から愛子盆地へと流れ出る地点の左岸に建つ。

本殿は県の有形文化財に指定されている。

祭神

歴史

当社は元国分荘三十三ヶ村の総鎮守一宮であり、延暦年間に山神として祀られ、氏子の崇敬を集めたという。文治年中、源頼朝平泉藤原泰衡を討伐した際に、特に当社に祈願して戦勝を得たので、家臣の伊沢家景に本社殿を造営させ、これより建御名方命を祀って諏訪社と改称した。康正3年(1457年)、国分宗治が当社の再興を図り社殿を造営した。江戸時代には伊達政宗、茂庭定元らによって数回に亘り社殿等の造営・改修が行われた。明治7年(1874年8月、村社に列せられ、同40年(1907年)4月には供進社に指定された。

文化財

宮城県指定有形文化財
  • 本殿 附:棟札12枚

アクセス

参考文献

  • 宮城町誌編纂委員会『宮城町誌 本編』宮城町、1969年



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