訴訟機関説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 08:52 UTC 版)
笠松宏至は、鎌倉幕府からの連続性を否定する後醍醐天皇が問注所の名称を厭い、草書体の「問注」を崩して「窪」の1字に圧縮し、新規創設という建前で発足した機関に過ぎず、実質上は問注所を引き継ぐ訴訟受付機関であったとしている。問注所は、民事訴訟(雑務沙汰)や訴訟雑務(主に訴状の受理)などを担当した機関である。 亀田俊和は、警備機関とすれば武者所と職務が重複してしまう点、足利氏の家政機関の長である執事として官僚的実務能力にも優れていた高師直が配置されている点、などから、問注所後継説を支持している。
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