設立会議・構成
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1991年末に2つの会合が持たれ、この時にインテラハムウェの設立が決まった。このうちの2回目の会合で、インテラハムウェの上層部のメンバーを決定し、リーダーとして11人、全国委員会の委員に5人、アドバイザーとして6人を選出した。 インテラハムウェの代表は、ジェリー・ロバート・カジュガ(Jerry Robert Kajuga)である。カジュガはインテラハムウェの設立メンバーの1人で、1994年までには全国委員会の代表になっていたらしい。カジュガはサッカークラブの代表で、クラブのメンバーをインテラハムウェに貸し出す代わりに、自分をインテラハムウェのリーダーにするよう求めた。カジュガがフツかツチかは文献によって異なっており混乱が見られるが、ICTRの判決文ではツチと認定されている。カジュガは Le Président(大統領)のニックネームで呼ばれていた。また、カジュガの兄弟には虐殺による犠牲者が多い。 アドバイザーの中には、プロタ・ジギラニラゾ(Protais Zigiranyirazo)、セラフィン・ルワブクンバ(Séraphin Rwabukumba)、ジョゼフ・ンジロレラ(Joseph Nzirorera)、マシュー・ンギルンパッツェ(Mathieu Ngirumpatse)、パスツール・ムサベ(Pasteur Musabe)といった、フツ強硬派が多数含まれている。 インテラハムウェの全国委員会の構成は、代表のカジュガの他、第1副代表フェネア・ルフムリザ(Phénéas Ruhumuriza)、第2副代表ジョージ・ルタガンダ(George Rutaganda)、事務総長ユージン・ムバルシマナ(Eugene Mbarushimana)、会計デュードネー・ニイテゲタ(Dieudonneé Niyitegeta)、評議員にバーナード・マニラガバ(Bernard Maniragaba)、ジョセフ・スレゲンド(Joseph Suregendo)、エフレム・ンケザベラ(Ephrem Nkezabera)、ジャン=マリー・ヴィアンニー・ムダヒニュカ(Jean-Marie Vianney Mudahinyuka)、アルフォンス・カニンバ(Alphonse Kanimba)である。県レベルでの委員会も存在したが、ジェノサイドにどの程度重要であったかは不明である。
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