設立までの沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:45 UTC 版)
明治後期から大正にかけて日本の美術界では、美術館、特に明治以降の日本画や洋画など同時代の美術を展示する近代美術館の必要性が議論されていた。文部省美術展覧会をはじめ各種美術団体の展覧会場としては、もとは東京勧業博覧会の施設だった竹の台陳列館などが使用されていたが、設備は不十分だった。文部省による美術館建設の構想はあったが、予算不足のため頓挫していた。 そうした折、若松市(現在の北九州市)の石炭商・佐藤慶太郎から東京府に美術館の設立資金として100万円(現在の800億円相当)を寄付する申し出があり、東京府が美術館を建設することになった。岡田信一郎が設計し、1926年、日本で最初の公立美術館「東京府美術館」として開館した。1943年の東京都制施行により現行の「東京都美術館」に改称した。
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