規則に従うこと
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:52 UTC 版)
一般的に人が従う規則を明文化したもので言語の用法が記述されるが、ヴィトゲンシュタインは相当詳細にこの規則について考えた。彼が、いかなる動作も与えられた規則に従うと言えると主張したことは有名である。彼はジレンマを持ち出してこれを実行した。: これが私たちのパラドックスだった。:どの行動の成り行きも規則と調和すると言えるので、どの行動の成り行きも規則によって正確に決定できない。答えは:どの行動の成り行きも規則と調和すると言えるなら、それらがめいめい規則と矛盾するともいえる。そしてそこには調和も矛盾も存在しない。 ある人はなぜ人が特定の場合に特定の規則に従うのかを説明できる。しかし実践に伴う規則に関するいかなる説明も、循環性を伴わずには規則を伴う言葉を与えられない。ある人は「彼女は規則Rに従ってXを行った」というようなことを言えるのは、聞き手が「彼女は規則R1に従って規則Rに従った」と言わない場合に限る。聞き手がこう言う場合、さらにある人が「しかしなぜ彼女は規則R1に従ったのか?」と問い、無限に後退することに巻き込まれることになる。説明には終わりがなければならない。 彼の結論: このことが示すのは、「解釈」では「ない」が、私たちが「規則に従うこと」や「それに反すること」と実際の事例で呼ぶものの中で展開される規則を把握する方法は存在する。 そのため規則に従うことは実際に可能である。そしてさらに、人は自分が規則に従うことも従うのに失敗することもあると思っているので、人が規則に従っているという「考え」は規則に従うことと同一ではない。それゆえ、規則に従うことは私的な活動ではありえない。
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