見田・大沢古墳群とは? わかりやすく解説

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見田・大沢古墳群

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見田・大沢古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 23:34 UTC 版)

(左から)1号墳・2号墳・3号墳
見田・大沢
古墳群
見田・大沢古墳群の位置

見田・大沢古墳群(みた・おおさわこふんぐん)は、奈良県宇陀市菟田野(うたの)見田・大澤にある古墳群。国の史跡に指定されている。

概要

奈良県東部、宇陀盆地南部の舌状台地の尾根上に営造された古墳群である。前方後方墳1基(1号墳)・方墳4基(2-5号墳)の計5基から構成される[1]。これまでに1980年昭和55年)に発掘調査が実施されている[2]

古墳群の営造時期は古墳時代前期頃と推定される。当該時期には奈良盆地南東部で巨大前方後円墳が築造され、各地でも前方後円墳を主体とする連合体制の形成が進む。そうした時期に前方後方墳・方墳を主体とする古墳群として営造された点で特色を示し、当時の政治情勢を考察するうえで重要視される古墳群になる[1][3]。また、宇陀地域における辰砂(水銀朱)の産出との関係を指摘する説もある[4]

5基の古墳域は1983年(昭和58年)に国の史跡に指定されている[5]。なお、一帯では中世の居館跡なども検出されている[2][6]

遺跡歴

一覧

見田・大沢古墳群の一覧[2][1][6][4]
古墳名 画像 形状 規模 埋葬施設 出土品 備考
1号墳 前方後方墳
(一隅突出型)
墳丘長27.5m 破壊により不明
(木棺か)
方形の一隅に張り出し部が付く異例の前方後方形
古墳時代後期に墓壙構築
2号墳 方墳 一辺14m 割竹形木棺直葬 重圏文鏡・琥珀製勾玉・ガラス小玉・
緑泥片岩製管玉・鉈・土師器
3号墳 方墳 一辺16m 盗掘により不明 鉄剣・鉄鏃・土師器
4号墳 方墳 一辺17m 割竹形木棺直葬 四獣鏡・勾玉・管玉・鉄剣・土師器
5号墳 方墳 一辺14m 割竹形木棺直葬 土師器

文化財

国の史跡

  • 見田・大沢古墳群 - 1983年(昭和58年)8月17日指定[5]

脚注

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 奈良県立橿原考古学研究所編 編『菟田野町 見田・大沢古墳群 -付古市場胎谷古墳-(奈良県史跡名勝天然記念物調査報告 第44冊)』奈良県教育委員会、1982年。 

関連項目

外部リンク

座標: 北緯34度28分51秒 東経135度58分27秒 / 北緯34.48097度 東経135.97428度 / 34.48097; 135.97428 (見田・大沢古墳群)



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