見田・大沢古墳群
名称: | 見田・大沢古墳群 |
ふりがな: | みた・おおさわこふんぐん |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 奈良県 |
市区町村: | 宇陀市 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1983.08.17(昭和58.08.17) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: |
史跡: | 要害山 見島ジーコンボ古墳群 見沼通船堀 見田・大沢古墳群 覚園寺境内 観世音寺境内および子院跡 観心寺境内 |
見田・大沢古墳群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 23:34 UTC 版)

見田・大沢古墳群(みた・おおさわこふんぐん)は、奈良県宇陀市菟田野(うたの)見田・大澤にある古墳群。国の史跡に指定されている。
概要
奈良県東部、宇陀盆地南部の舌状台地の尾根上に営造された古墳群である。前方後方墳1基(1号墳)・方墳4基(2-5号墳)の計5基から構成される[1]。これまでに1980年(昭和55年)に発掘調査が実施されている[2]。
古墳群の営造時期は古墳時代前期頃と推定される。当該時期には奈良盆地南東部で巨大前方後円墳が築造され、各地でも前方後円墳を主体とする連合体制の形成が進む。そうした時期に前方後方墳・方墳を主体とする古墳群として営造された点で特色を示し、当時の政治情勢を考察するうえで重要視される古墳群になる[1][3]。また、宇陀地域における辰砂(水銀朱)の産出との関係を指摘する説もある[4]。
5基の古墳域は1983年(昭和58年)に国の史跡に指定されている[5]。なお、一帯では中世の居館跡なども検出されている[2][6]。
遺跡歴
一覧
古墳名 | 画像 | 形状 | 規模 | 埋葬施設 | 出土品 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1号墳 | ![]() |
前方後方墳 (一隅突出型) |
墳丘長27.5m | 破壊により不明 (木棺か) |
方形の一隅に張り出し部が付く異例の前方後方形 古墳時代後期に墓壙構築 | |
2号墳 | ![]() |
方墳 | 一辺14m | 割竹形木棺直葬 | 重圏文鏡・琥珀製勾玉・ガラス小玉・ 緑泥片岩製管玉・鉈・土師器 |
|
3号墳 | ![]() |
方墳 | 一辺16m | 盗掘により不明 | 鉄剣・鉄鏃・土師器 | |
4号墳 | ![]() |
方墳 | 一辺17m | 割竹形木棺直葬 | 四獣鏡・勾玉・管玉・鉄剣・土師器 | |
5号墳 | ![]() |
方墳 | 一辺14m | 割竹形木棺直葬 | 土師器 |
文化財
国の史跡
- 見田・大沢古墳群 - 1983年(昭和58年)8月17日指定[5]。
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(宇陀市教育委員会、2019年設置)
- 「見田大沢古墳」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490301。
- 楠元哲夫「見田・大沢古墳群」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「見田-大沢古墳群」『国指定史跡ガイド』講談社。 - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 奈良県立橿原考古学研究所編 編『菟田野町 見田・大沢古墳群 -付古市場胎谷古墳-(奈良県史跡名勝天然記念物調査報告 第44冊)』奈良県教育委員会、1982年。
関連項目
外部リンク
- 見田・大沢古墳群 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 国指定文化財 > 見田・大沢古墳群 - 宇陀市ホームページ
- 見田・大沢古墳群のページへのリンク