被疑者K3が関与を認める
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 09:57 UTC 版)
「大牟田4人殺害事件」の記事における「被疑者K3が関与を認める」の解説
2004年10月13日までにK3はそれまでの全面否認から一転して容疑を認める供述を始めたため、一家4人全員が容疑を認めたこととなった。また捜査本部が銃弾の線条痕を鑑定した結果、B・D両名に向けて発砲された拳銃とK1が大牟田署で自殺を図った拳銃は線条痕が一致したため、同一の拳銃による犯行が裏付けられた。 同日までの取り調べの結果、被疑者K2は「夫K1や息子がAら3人を殺すのを止めようとしたがどうしようもなかった」と供述した。一連の事件で被疑者が殺害の実行役に関して具体的な供述をしたのはこれが初めてだった。 2004年10月12日、福岡地方検察庁久留米支部はCの死体遺棄容疑で逮捕された被疑者K2について「本日で勾留期限が切れるが犯行の状況を含め事件の解明に至っていない」として処分保留とした。 2004年10月14日、福岡地検久留米支部はCの死体遺棄容疑で逮捕された被疑者K3について、母K2と同様の理由で処分保留とした。Cの死体遺棄容疑における勾留期限は切れたが、K2・K3両名はAら3人の死体遺棄容疑で再逮捕されていたため引き続き拘置された。 2004年10月15日、K2が「9月17日か18日、出入りしていた大牟田市本町のアパートで夫K1、息子K3・K4とともに被害者Aと会ったがAと口論になり、K1ら3人がAを殺そうとしたため自分が止めた。その後全員で市内の港に移動した後(息子らが)Aを殺害した」と供述した。 福岡県警捜査本部は2004年10月14日に被疑者K3を立ち会わせて大牟田港岸壁などで現場検証を行った。
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