袖ヶ崎島津邸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:41 UTC 版)
老朽化した袖ヶ崎邸を英国風洋館に改築することを計画し、1906年(明治39年)にジョサイア・コンドルに設計を依頼した。設計変更・明治天皇の崩御等もあって竣工したのは1915年(大正4年)。設備や調度等が整えられ、1917年(大正6年)に披露された。その後、戦争のため維持できなくなり、1944年(昭和19年)に日本銀行へ売却。周囲は大半が戦火焼失したにもかかわらず、邸は焼失を免れる。1946年(昭和21年)1月から1954年(昭和29年)5月までGHQの管理下に置かれ、1961年(昭和36年)、清泉女子大学本館となる(東京都品川区東五反田)。周囲一帯を島津山という。 外部リンク 旧島津公爵邸(清泉女子大学ホームページ)
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