薬師如来と出雲大社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 04:35 UTC 版)
平安時代末期までの鰐淵寺は現在地のやや西寄りの唐川にあった。これに林木(はやしぎ、現出雲市内)の別の寺院(薬師如来を本尊とする)が吸収された。以後、鰐淵寺は千手観音を本尊とする「北院」と薬師如来を本尊とする「南院」に分かれることになる。 鎌倉時代には守護佐々木氏(塩冶氏)の保護を得て栄えた。また、鰐淵寺とは山をへだてて南西側に位置する出雲大社との関係も深まった。稲佐の浜を極楽浄土の入り口とみなす信仰が発生し、これが出雲大社の発展と重なり、古代秩序の崩壊と中世への移行も相まって、神仏習合の形を取った両者の密接な関係が発展し、後に出雲大社の別当寺を務めるまでにその関係は深まった。
※この「薬師如来と出雲大社」の解説は、「鰐淵寺」の解説の一部です。
「薬師如来と出雲大社」を含む「鰐淵寺」の記事については、「鰐淵寺」の概要を参照ください。
- 薬師如来と出雲大社のページへのリンク