薬師堂と薬師如来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 18:36 UTC 版)
「妙円寺 (平塚市)」の記事における「薬師堂と薬師如来」の解説
「薬師堂」と「薬師如来」は、妙圓寺の歴史の中でもひときわ重要な存在であった。山号を和光山(佛の知恵の光)と号し、院号を醫王院(薬師様の別名)と名付けられていることでも解るように、妙圓寺の本来の本尊様は「秘仏」(行基作)薬師如来であった。旧本堂と言うべき「薬師堂」は、明治26年(1893年)の記録に4間四方のお堂が存在していたことが明記されている。 比叡山延暦寺根本中堂の本尊も、伝教大師作の薬師如来である。 妙圓寺は、古記録に開山不詳とあることから、もともとこの地に薬師如来を本尊様とするお寺があり、ここを中興開山の舜堯法印が修禅の道場と定めてから、開基である水嶋家並びに妙圓禅尼の帰依により阿弥陀如来を本尊様に改めて、中興されたと考えられる。
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