蔵屋敷と大名金融
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 07:34 UTC 版)
江戸時代も中期に入ると諸藩の財政は悪化して、蔵元や掛屋を務める商人からの借金(いわゆる「大名貸」)が頻繁に行われるようになり、また猶予期間を利用して見通しが不明な来年入荷の米と引換に出される空米切手の発行などが行われるようになった。大名貸は、表向きは、信用貸しであったが、実際には蔵米が担保となり得るものであったし、空米切手は将来的には藩の年貢米から返済しなければならなかった。 天明の大飢饉などの際には、大名貸や空米手形の決済に迫られた藩の中には、飢餓で苦しむ領民を放置して大坂への廻米を実施して多くの餓死者を出した挙句、農村が荒廃してしまった為に財政が更に逼迫して更なる借金を築いた藩もあったと言われている。また、蔵元や掛屋が逆に藩の経済や財政にも影響力を行使する場合も出現した。 ただし、蔵元や掛屋にとって良い話ばかりではない。 蔵元や掛屋としての契約を打ち切られることを恐れて大名からの無理な借入に応じた結果、破産するものもおり、また薩摩藩のように武士身分である事を逆手に取られて一方的な債務の繰り延べが行われる場合もあった。
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