蔵宿師と対談方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 09:19 UTC 版)
旗本・御家人は、年を経るごとに札差からの借金がかさみ、翌年・翌々年の蔵米までも担保として押えられ、それらの借金を返済するあては全く無くなっていくようになる。そうなると、札差の側も新たな融資にはなかなか応じなくなる。 そこで腕の立つ浪人ややくざ者を一時的に家来として雇い、これを札差の店にさし向けて強引に金を借り出そうとする。この札差ゆすり専門家を、蔵宿師(くらやどし)または単に宿師(やどし)と称した。寛政の改革の際に札差の貸金仕法が改正された後には、旗本・御家人の隠居や子弟が蔵宿師となることも多くなった。 寛政7年(1795年)、札差の訴えにより町奉行所の役人が巡回し、悪質な蔵宿師10数名を捕えて重追放以下の刑に処したが、蔵宿師は跡を絶たなかった。 これに対し、札差の方でも、やはり腕っぷしの強い、いさみ肌の若者を手代として雇って蔵宿師に対抗させ、反対に脅して引き取らせてしまうようにした。これを対談方(たいだんかた)という。対談方の中には1人で50 - 200両もの給金を受け取る者もいた。また腕が立ち、借金を巡って暴力沙汰になっても、逆に相手を容易にねじ伏せてしまうほどの者だったという。 札差からの借金で首の回らなくなった旗本・御家人は他にも、借金の担保に入っている切米を、札差が受け取る前に直接受け取ってしまい自分の物としてしまうこともあった。これを直取り(じかどり、じきとり)または直差(じきさし)と言う。借金は帳消しにはならないが、これでとりあえず収入は確保できることになる。ここでもまた、直取りを代わって請負う浪人者などが現れた。明和3年(1766年)に札差は幕府に訴え、3年後にようやく直取りの全面禁止が認められることとなった。 この手が使えなくなると御家人は、転宿(てんやど)といって付き合いのある札差を替えることを始めた。しかし、転宿は前の札差の借金を精算しないとできないため、ここでも札差との交渉のため蔵宿師を雇うことがあった。
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