蔗作直営稲作小作経営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/10/08 09:15 UTC 版)
「三五公司源成農場」の記事における「蔗作直営稲作小作経営」の解説
1939(昭和14)年より「蔗作直営稲作小作経営」が開始され、3ヵ年のうち1年半が蔗作直営、残りの1年半を従前通り稲作・雑作小作とする体制に移行した。小作契約期間は6カ年であり、小作人総数は1000人あまりであった。すなわち蔗作の直営経営と稲作の小作経営が輪作を媒介にして結合し、稲作小作人は、蔗作期間中源成農場の労働者となった。この蔗作直営稲作小作経営は以下のような利点があった。 蔗作につき農場が直営することによる製糖原料を確保。1920年代日本国内での人口増加による食料供給が緊迫化と「蓬莱米」の栽培の成功により、台湾米が日本に移出することができるようになり米の価格が急騰した。このため台湾中部における製糖工場は、水田稲作地への転換による甘蔗耕作地の減少、ならびに水田稲作への対抗上甘蔗買収価格を上げざるを得ず、原料確保に困難をきたすという、いわゆる「米糖相克」の状況にあった。そのため他の製糖会社は、砂糖の原料の確保に不安を抱いていたが、これと対照的に源成農場では原料である甘蔗の確保に不安を感ずることはなかった。 土地利用上の利点。もともと源成農場は海岸に近接し季節風の被害を受けやすかったが、甘蔗、稲、雑作との輪作関係をとっていたので面積当たりの収穫が高かった。 直営農場の労働力の確保。稲小作経営を設定することにより、直営農場の労働力を安定的にかつ有利に確保することができた。
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