英米関係とグレナダ侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 23:06 UTC 版)
「エリザベス2世」の記事における「英米関係とグレナダ侵攻」の解説
「グレナダ侵攻」も参照 先述のフォークランド紛争の終結目前の1982年6月上旬、G7ヴェルサイユ・サミットの帰路にロナルド・レーガン米大統領が訪英した際、ウィンザー城で女王と大統領が乗馬する様子が大々的に報じられ、英米両国の結束を示すかのようであった。女王は翌1983年2月に、レーガンの地盤である米カリフォルニア州を含む米西海岸を答礼訪問した。 ところが、1983年10月13日、英連邦王国のひとつでエリザベス2世自身が国家元首(グレナダ女王)のグレナダでクーデター勃発に端を発し、10月25日に米国が介入するに至った(グレナダ侵攻)。米国は、イギリスにも、そして元首である女王にも連絡なしに介入を行った。サッチャー首相は米軍介入に反対の立場だったが、結局は米国を支持せざるを得ず、女王とともに屈辱を感じた。 1982年6月8日、ウィンザー城にてレーガン米大統領夫妻と女王夫妻 1983年2月23日、訪米しサンタバーバラで儀仗礼を受けるレーガン米大統領と女王 1983年2月23日、レーガン米大統領夫妻と女王夫妻
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