苦の因果関係の一環として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 13:39 UTC 版)
十二因縁 無明(無知) ↓ 行 ↓ 識 ↓ 名色 ↓ 六処 ↓ 触 ↓ 受 ↓ 愛 ↓ 取 ↓ 有(存在) ↓ 生(誕生) ↓ 老死(老いと死) 四諦における1つ目の諦では、苦の中核的経験の一つとして取(ウパーダーナ)を挙げている。2つ目の諦では、苦の基礎として渇愛(タンハー)を挙げている。このように、仏教の最も根本的な教えには、渇望と執着の因果関係が見いだされる 十二因縁(十二縁起)において、「取」は9番目に登場する。 取(ウパーダーナ)は、渇愛が存在している状態へ依存している。 渇愛の条件を満たすとき、ウパーダーナが発生する。 取はまた、次の条件である有(ビハーバ)の発生要件である。 取の条件を満たすとき、有が発生する。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}Idha bhikkhave, bhikkhu abhinandati abhivadati ajjhosāya tiṭṭhati.Kiñca abhinandati abhivadati ajjhosāya tiṭṭhati: rūpaṃ abhinandati abhivadati ajjhosāya tiṭṭhati, tassa rūpaṃ abhinandato abhivadato ajjhosāya tiṭṭhato uppajjati nandi.Yā rūpe nandi tadupādānaṃ tassūpādānapaccayā bhavo, bhavapaccayā jāti, jātipaccayā jarāmaraṇaṃ sokaparidevadukkhadomanassupāyāsā sambhavanti. Evametassa kevalassa dukkhakkhandhassa samudayo hoti. 比丘たちよ、ここに、とある比丘が歓喜し迎え入れ執着してとどまる(とする)。その比丘は、いったい何に歓喜して、迎え入れ、執着するのであろうか。色(ルーパ)に歓喜し、迎え入れ、執着しているのだ。色に歓喜し迎え入れ執着する彼には、喜悦が起こる。色に対する喜悦、それは取である。取によって有が生じ、有によって生が生じる。生によって老死が、愁い、悲しみ、苦しみ、憂い、悩みが生じる。このようにして、全ての苦蘊は生起する。 —パーリ仏典, 相応部蘊相応 Nakulapitu-vaggo, 5.定経(Samādhi bhāvanā suttaṃ), Sri Lanka Tripitaka Project ブッダゴーサによれば、欲取の取とは、渇愛によって発生し、その状態が維持されるのだという。
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