若狭武田家の繁栄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/07 07:10 UTC 版)
元信は、以降も軍事活動などを通じて室町幕府将軍や細川京兆家との繋がりを更に深め、若狭武田家を繁栄させた。しかし、丹後一色氏との対立は一進一退の状況が続き、永正3年(1506年)には丹後侵攻を図って失敗し、一色氏の若狭侵攻の際には越前国の朝倉氏の援軍もあり、これを撃退している。また、領内で起きた土一揆などにも苦しめられるなど、その体制は必ずしも順風満帆ではなかったものの、武田氏に対する段銭・役夫工米の免除や荘園に対する押妨の停止などを命ずる室町幕府奉行人奉書は武田元信の代に目立って少なくなり、幕府の支配を離れ、若狭武田氏を守護大名から戦国大名へと転身させる基礎を築いた。
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